ドガドガプラス13回公演 浅草紅團 作・演出:望月六郎 シアターX(カイ)提携公演

平和と戦争の狭間で、怪しい輝きを放つ『浅草紅團』。

浅草紅團

浅草に強いシンパシーを感じているようですが、どうしてですか?

私の祖母は、大正生まれの厳格な人で、子どもの頃は、浅草へよくお墓参りに連れてかれたんです 私は新宿育ちなのですが、ちょうど今のビューホテル、国際劇場の裏にお墓があったので、浅草公園行のバスに乗って出かけていきました 昭和30年代のことですけど、その頃の国際劇場には、3メートルぐらいのダンサーのカッティングボードが幾重にもズラッと並んでいて、子どもながら見ていいのか悪いのか、普段やさしいオバァちゃんが、私を睨みつけるしね(笑)。 帰りには『浅草新世界』っていうビルに立ち寄って大食堂で食事をするのですが、キャバレーはあるはマジックランドはあるは猛獣ジャングルはあるは、何だがゴチャッとした摩訶不思議な世界が迷宮のように広がっているんですよ。まさに唐十郎さんがお芝居で表現するキラキラした怪しさが、そこにはあったんです。 私は唐さんの大ファンで唐組さん、唐ゼミさん、新宿梁山泊さんとは仲良くさせていただいています。 唐さんが下谷万年町生まれですから、浅草の見世物小屋的ムードがごく自然にお芝居にとけ込んでいる。なんでこの雰囲気に魅かれるのだと顧みると、お墓参りの幼児体験が心に残っていたんだと思います。

なぜ『浅草紅團』を舞台にかけようと思ったのですか?

『浅草紅團』は川端康成の小説で、昭和4年から5年にかけて新聞掲載したものです。川端の実験小説のひとつなのですが、風俗誌的要素が大変強いので、当時の雰囲気が、手にとるように分かります。 エノケンのカジノフォーリーが浅草六区で人気を呼んだのも、この小説のおかげとも言われるほど多くの人に読まれていました。そもそも『紅團』というのは、浅草にいた不良少年少女のグループのことです。ま、カラーギャングみたいなものですよ。渋谷にたむろっていた若者のように、都市の闇の象徴みたいなコなんですね。 当時はまだまだ関東大震災の傷跡から癒されず、しかも大不況の中で、行き場のない若者が、浅草で肩を寄せ合って生きていた。なんだかその感覚が、現在に通じると感じて、この小説を舞台にかけてみたくなったんです。

『浅草紅團』の中に、どんな輝きを見つけましたか?。

昭和5年というのは、本当に激動の年です。カジノフォーリーなど華々しき文化が生まれた一方、世界恐慌で生糸が暴落して、北関東や信州の多くの女性が吉原に身を売った時代でもありました。浅草は懐が深いから、身を売る女性たちや浮浪者、チンピラたちが住みやすい場所でもあるそうした下級層のふんばりや葛藤がカタチになって、なんだか浅草独特のキラキラした怪しさになっていると思うのです。エログロナンセンスもジャズもラインダンスも、浅草っていう窓から覗くと、みごとに怪しく輝きだすんです。

問題のない範囲で、舞台『浅草紅團』を説明してもらえますか?

もちろんいつものように、小説『浅草紅團』をベースにしながら、原作にないキャラクターもたくさん登場させます。浅草紅團の弓子はもちろんのこと、今戸川心中の吉里、墨東綺譚の雪を主軸に、どん底から抜け出そうとする葛藤を主題に描きました。満州への人買いをするスパイや男装の麗人や、女スリ団。すべての登場人物がペルソナ(仮面)をもった二重構造で、昭和6年満州事変までの危うさと心の揺れ動きを、語らせようと思っています。時代同様、物語も戦争へと向かっていくのですが。戦争って究極の消費だから、軍事特需がものすごい。ビンボーから抜け出せるかも?と思っても仕方がないのかもしれません。しかし砲弾が飛び交えば、人々は『笑い』を失います。笑顔と引き換えに手に入れた経済が幸せかどうかは、現代に住む私たちの喉元にも突きつけられた重大なテーマです。『浅草紅團』が書かれた昭和4年は、戦争前の、線香花火が燃え尽きる瞬間のような、白熱球が爆発する瞬間のような、輝きに満ちた時代です。もちろんその華やかな輝きは舞台でも、ドガドガプラス伝統の網タイツダンスで表現しますよ(笑)。現在は、昭和初期と同様、心のバランスを保つのが苦しい時代なのかもしれません。だからこそシアターXに来ていただいて、浅草新世界的迷宮に身を委ねていただきたい。ゴチャッとした摩訶不思議なラビリンスが、そこには広がっていますよ。

望月六郎

望月六郎

【映画作品】

スキンレスナイト
極道記者
皆月
鬼火
恋極道

【演劇作品】

贋作 春琴抄
偽作 不思議の国でありんす
他 多数